――2014年2月にロシアでソチオリンピックが開かれました。ノルディックスキー・ジャンプ女子が初めて正式種目となり、髙梨選手も初出場しました。
現在コーチをしてくださっている山田いずみさんなど先輩方を始め、たくさんの方々の尽力により、女子ジャンプもワールドカップや世界選手権が行われるようになって、オリンピックでも初めて競技が行われました。スポーツをしている選手ならオリンピックは誰もが目指す夢の舞台だと思います。その大きな舞台に日本代表として立つことができたのはすごく幸せでした。
オリンピックに出場したからには、今まで応援してくれた皆様への恩返しのためにも「結果を残したい」と臨みましたが、4位に終わってしまい、悔しい思いをしました。ただ、色々な体験ができたことは、今後の競技生活にとって間違いなくプラスになると思います。
――2013-14シーズンは、スキー・ジャンプ女子のワールドカップで個人総合2連覇を達成しました。
ソチオリンピック後、試合でベストを尽くすことも結果を残すこともできなかった自分に悔しい気持ちでいっぱいになり、気持ちが落ち込んだまま、なかなかモチベーションを上げることができませんでした。ですが、帰国後たくさんの方々からの温かいお言葉を受けて、もう一度がんばらなければいけないと立ち上がることができ、ワールドカップを最後まで戦い、総合優勝することができました。
2013-14シーズンは本当に様々な方々の助けやサポートを実感したシーズンで、劇的に環境が変わった1年間でした。
なかでも山田いずみさんにコーチになっていただいて、いつも見てもらっている中で飛べることは大きかったです。山田コーチは選手時代に色々な苦労をされているからこそ、自分の体験からの指導があり、技術についてとても相談しやすいです。
ワールドカップは毎週末に必ず試合があるので、トレーナーや管理栄養士さんなどのサポートを受け、体調を崩すことなく、試合に向けてしっかりとコンディションを整えることができたことも、成長できた点です。
――髙梨さんは、いつからスキーを、そしてジャンプという競技を始めたのですか?
父も兄もスキーをやっていましたし、スキーが盛んな北海道上川町で育ったこともあり、小さい頃からスキーを始めて、ジャンプは小学校2年生から始めました。兄と友だちがやっていた影響で、自然と「やってみたい!」と思うようになりました。
初めてジャンプを飛ぼうとした時、怖くて、なかなか飛べなかったのを覚えています。誰かに背中を押されて飛んだのですが、飛んでみたら普段、地上では味わえない感覚があり、とても楽しかったです。そこからジャンプの魅力に取りつかれました。ジャンプの楽しさは、初めての時から今でも変わりません。
――100mを超えるようなジャンプを飛んでいて、怖くないのですか?
もう怖くはないですね、ジャンプには慣れました(笑)。ですが、ジャンプは屋外競技なので、自然との戦いでもあり、風などの状態によって恐怖を感じることはあります。その点は難しいところです。踏み切った後のスピードは速く、台から飛んで(テイクオフ)、いちばん高いところ(マキシマム)に上がった時点で、良いジャンプかどうかが判断でき、その瞬間にどのくらい飛べるか感覚的にわかります。
――2014-15シーズンに向けては、どんな準備をしてきたのですか? また「大変だな」と思うような練習はありましたか?
体力を落とさないように移動日以外、ほぼ毎日トレーニングをしています。夏の間にしっかり基礎となる土台を作ることを心がけています。できるだけ飛んでいる感覚を忘れたくないので、飛ばなかった月は4月くらいです。
確かにトレーニングは苦しいものもありますし、つらいと感じる時もあります。ただ、大変なことを乗り越えた先に強さがあり、これだけ練習したから大丈夫という自信にもつながります。なので、特にどの練習がすごく大変だと思わないようにしています。
もう1つ、両親とも相談して、競技と両立できると判断し、2014年度から日本体育大に進学しました。アスリートとして身体やメンタルについて、さらに勉強して役立つ知識を増やしていけたらいいなと思います。
――髙梨選手がよく練習している北海道・札幌にある大倉山ジャンプ競技場、2012年3月にワールドカップで初優勝した山形県山形市にある蔵王ジャンプ台の印象はどうですか? 大倉山や蔵王など、日本各地のジャンプ台の改修や維持費はtotoを購入したみなさんのお金で助成されています。
蔵王は練習やワールドカップ、チームの合宿でお世話になっていて良い成績を収めることができているので、飛ぶのが楽しみなジャンプ台です。大倉山は、ノーマルヒルではなくラージヒルなので滑る感覚も、滞空時間も長くて、飛んでいてすごく楽しいです。私は真っ白の中に飛び込んで行くのが好きなので、サマージャンプよりも冬のジャンプで飛びたい場所ですね!
ただ、ジャンプ台はサッカー場や陸上競技場のように普通にあるものではありません。身近にジャンプ台があると競技もしやすくなりますし、たくさんの方々にスキー・ジャンプを知ってもらう機会にもなりますが、ジャンプ台の改修や整備にはたくさんのお金がかかります。totoの支援を受けているからこそ、各地にあるジャンプ台の運営ができているのだと思います。
秋田県鹿角市にある花輪スキー場のジャンプ台にも「toto」と書いてあるのを見かけたことがあります。練習や試合ができる場所や環境を整備するのに助成していただいていて、本当にありがたく思っています。
――2014-15シーズンは、ジャンプ女子のワールドカップ個人総合で3連覇を目指していると思います。さらにその先のアスリートとしての目標は?
2014-15シーズンのワールドカップでは3連覇を狙っています。
それ以上先のことは、まだ、あまり考えられませんが、2018年の平昌オリンピックに向けて、今以上に努力してソチオリンピックでの悔しさを晴らしたいと思います。
――山田ゆりな選手ら同世代の選手の活躍は刺激になりますか?
同世代の選手ががんばっている姿を見ると、モチベーションが上がります。山田選手は長野、私は北海道が拠点なので、遠征や合宿で一緒になった時には、いろんな話をしています。
――アスリートとして、自分の長所はどんなところですか?
まだ、自分の良いところははっきりと言えないです。いつかは自分の良いところを見つけ出して、それを誇りにし、自信を持って言えるような選手になりたいと思います。精神的にもまだまだなので、もっと強くなりたいです。
今まで、ほんとうに多くの方々に支えられて、大好きなスキー・ジャンプをここまで続けてこられました。なので、その人たちを楽しませられるようなパフォーマンスのできる選手になりたいと思いますし、一人でも多くの人に競技を知ってもらえるようにがんばりたいと思います。そして、私が先輩方にしていただいたようにジャンプを始めようと思っている子どもたちや、実際にやっている子どもたちに目標や夢を与えることができるような存在を目指しています。
――ジャンプに限らず、さまざまなスポーツを支援、応援してくれているスポーツファンのみなさんにメッセージをお願いします。
何もないところから女子ジャンプを作り上げてきてくださった先輩方、そこに携わって支えてくださった方々を始め、応援してくださっている皆様のおかげで大好きなスキー・ジャンプを今まで続けることができました。今後は4年後の平昌オリンピックを目指して、そして一人でも多くの人に女子スキー・ジャンプという競技を知っていただけるよう
(2014年5月 都内某所にて)
- たかなし さら
1996年生まれ、北海道上川町出身。兄や友人の影響で小学校2年からジャンプを始める。2011-12シーズンからスキージャンプ・ワールドカップに参戦し、2012年3月に蔵王大会で日本人女子として初優勝。2012-2013、2013-2014ワールドカップ個人総合2連覇を達成。ソチオリンピックでは4位入賞。クラレ所属、2014年、日本体育大に入学。
――蔵王ジャンプ台の現在の運営について教えてください。
蔵王ジャンプ台は、スキージャンプの国際大会が開催されることで知られており、女子スキージャンプ・ワールドカップでは、毎年1万人以上の観客を集めています。
2013年、やまがた樹氷国体の開催に際し、totoの助成によって最新規格に基づく大規模改修工事を行いました。その結果、国際スキー連盟の定める最新規格に準拠した、国内唯一のジャンプ台に生まれ変わりました。
改修後に行われた2014年1月のワールドカップ蔵王大会では、ソチのジャンプ台と同じクロソイドカーブの助走路ということで、直後のソチ五輪に向けて重要な経験ができたと、各方面から高く評価されました。
――世界レベルの若手選手の育成において、蔵王ジャンプ台が果たしている役割について教えてください。
蔵王ジャンプ台と山形県山形市は、世界の女子スキージャンプの発展を黎明期から支えてきました。
女子スキージャンプの国際大会が開催されるようになったのは最近のことで、コンチネンタルカップは2004-2005シーズンから、ワールドカップは2011-2012シーズンから、オリンピックは2014年のソチからと、近年脚光を浴びるようになった競技です。蔵王では女子ワールドカップは初年度から、女子コンチネンタルカップは国内では初開催となる2年目のシーズンから大会を開催し、地域をあげて大会運営を応援しています。
こうした取り組みの中で、国内から髙梨沙羅選手という新しいスターが育ち、印象深い成績を共に記録できたことは、選手と私たちだけでなく、山形の皆さんが一緒になって女子スキージャンプの発展に取り組んできた証だと考えています。
――蔵王ジャンプ台を運営する中で、髙梨選手とはどのような関わりがあったのでしょうか。
髙梨選手と蔵王ジャンプ台は、たくさんの良い思い出を持っています。
髙梨選手が初めて出場した国際大会(2009年・コンチネンタルカップ)、初めての国際大会3位入賞(2010年・コンチネンタルカップ)、初のワールドカップ優勝(2012年・ワールドカップ)、いずれも蔵王で行われた大会でした。
ここ蔵王が、髙梨選手が世界に羽ばたく舞台となったことをとてもうれしく感じています。
――蔵王ジャンプ台の整備、改修にtotoの助成が果たしている役割について教えてください。
スキージャンプには競技の特性として、ジャンプ台という施設が必ず必要です。ジャンプ台をトレーニングでも試合でも同じように最良のコンディションに整えるには、人手と装置が必要であり、地方自治体の予算だけで運営していくことには難しい側面があります。しかし、私たちはtotoの助成を活用できたことで、施設の改修を積極化し、よりよい環境に整備することができました。
また、2015年にはサマージャンプへの対応と着地斜面の形状を最新規格に整えるための改修計画があります。これによって年間を通じた施設の有効活用が実現し、またさらに競技の安全性が高まる予定です。
髙梨選手の活躍によって、スキージャンプに取り組む女子の競技人口は確実に増えています。今後もtotoの助成で整備されたこのジャンプ台が、世界で活躍する選手の育成に貢献できる機会がなお一層増えることを期待しています。
――最後に、totoを通じてスポーツを応援してくれているファンのみなさんに、メッセージをお願いします。
totoの助成は、スポーツの振興に加えて、地域の振興に大きな貢献があります。蔵王ジャンプ台は山形の皆さんと一緒に、女子スキージャンプの発展に寄与してきました。今後もこの視点で、いろいろな施策や取り組みを行っていきたいと考えています。
(2014年11月、電話取材にて)
蔵王ジャンプ台は、山形県山形市にある日本最大面積を誇る蔵王温泉スキー場に隣接する1979年に建設されたジャンプ台。女子ワールドカップなど、国際スキー連盟公認の国際大会が毎年開催されている。