――末本選手は、なぜ、どのようにして、ライフル射撃の扉を開いたのでしょうか?
小学4年生のある日、ミニバスケットボールの大会で訪れた体育館に『福岡県タレント発掘事業』の選考会の告知ポスターが貼ってあるのを見つけました。そのポスターには、背中に大きく『福岡』と書かれたジャージを着た選手の写真が使われていました。その写真を見た瞬間に、「私も福岡県代表選手になりたい。このジャージを着たい」と、あこがれました。
そして、タレント発掘事業の選考会に応募し、合格しました。タレント発掘事業とは、様々なスポーツ体験や、知的能力の開発・育成プログラムなどを通じて、自分の可能性を活かせる競技は何かを探っていくプロジェクトです。そのプログラムで、中学2年生の時に初めてライフル射撃を体験しました。すぐに、県ライフル射撃協会の方などから「適性があるので、ぜひライフル射撃の道へ進んでほしい」と強く薦められました。けれど、当時の私は日本代表の水準も、世界でメダルを取れる水準もまったく知らなかったので、実感はありませんでした。
――バスケットボールの夢を断ち切り、ライフル射撃の可能性に賭ける決断をした決め手は、何でしたか。
タレント発掘事業の最終学年にあたる中学3年生の時点で、私は「バスケットボールでは将来が期待できない」という厳しい評価を突きつけられました。とてもショックでしたけれど、同時に、「オリンピックという夢をつかむチャンスが目の前にある。ライフル射撃が私を見つけてくれたのだ」という希望に出会うこともできました。
そうして、射撃部がある太宰府高校へと進学すると、入部2か月後に迎えた初の公式戦で、練習での成績をはるかに超える自己ベストを出せたのです。この時を境に、くすぶっていたバスケットボールへの未練は完全に消え、私は心からライフル射撃の選手に生まれ変わったのだと思います。
――ライフル射撃の醍醐味は何ですか。
全選手が同じ環境、同じ条件の中で競技をおこない、すべて自分のパフォーマンスだけで得点や順位が決まるというところです。接触プレーはありませんし、採点者の印象で得点が変わることもありません。何ひとつ他人のせいにはできない。すべては自分の中にある。それがライフル射撃の最大の魅力ですね。
――自分と向き合うことがとても大事な競技だと思います。試合への入り方はどのようにしていますか?
まずメンタル面ですが、これは選手それぞれの振る舞い方があります。イヤホンをつけて自分の世界に入り込む選手もいれば、試合直前まで周りの人と話している選手もいます。私は、いつもと同じ状態で試合に向かうのが一番だと考えているので、普段から大切にしている『笑顔』『楽しむ』『感謝』の3つのモットーを心がけ、周囲の人との会話も楽しみながらリラックスして試合に向かうことが多いです。フィジカル面でも、やはり、いつもと同じ体の柔軟性を作れるまで、入念にストレッチをします。例えば「ちょっとふくらはぎが張ってるな」ということを気にしてしまうと、試合に影響します。
――「いつもと同じ」を強調していますが、新しい方法を取り入れることにも慎重になりますか?
日本代表チームのコーチや、オリンピック経験者の方などからは、自分と違うやり方をご指導いただくこともあります。私はそれらのアドバイスを、一度は取り入れてみます。そして、自分に合わないと思ったら、頭の奥のほうの引き出しにしまっておきます。いつか、大きな壁にぶち当たった時には、その引き出しを開けようと思います。アドバイスを捨てることはありませんね。やっぱり何であっても、捨ててしまうのはもったいないですから。
――2013年1月、オーストラリアで行われたユースオリンピックフェスティバルで銅メダルを獲得した時の喜びをお聞かせください。
国際大会初のメダルでした。実を言うとその時期はスランプで、試合内容には満足できていません。けれど、いざ表彰台に立ち拍手を浴びると、すごく嬉しい気持ちになりました。首に掛けてもらったメダルを手に取ってじっと眺めながら、「次は納得のいく結果を残して表彰台に立てるように頑張ろう」と、モチベーションを一層高めました。
――将来の目標は何ですか。
2020年の東京オリンピックでメダルを取ることです。東京開催が決まってから、応援してくださる方がたくさん増えていると感じます。目標の達成に向けて、たくさん出場させていただいている国際大会の経験を無駄にしないよう努めたいです。
その過程で、時には負けを受け入れる必要もあります。負けることは悔しいですけれど、自分の最終目標はそこではないので、負けた試合で得る経験も、自分の力にしていきたいと思っています。たとえ負けても、その試合の中で納得のいく一発が必ずあるものなので、「あの快心の一発を、どうやったら次も出せるか」ということを考えるようにしています。
――日本の射撃界に「もっと必要だな」と感じることはありますか。
まだまだ一般に広く知られていませんので、まずはいろんな人に射撃というスポーツを知ってもらい、より多くの人に応援してもらえる射撃界を作っていきたいと思います。私も、取材などを通して、いろんな人に応援される選手になりたいです。
――totoは助成を通じて、福岡県タレント発掘事業をはじめ、将来有望な選手の発掘や育成に、様々な形で支援しています。それについてどのような印象や考えを持っていますか。
タレント発掘事業で、totoの黄色いバナーをいつも見ていました。様々なサポートをしていただき、とてもありがたく思っています。そのような助けがなければ、私は今の自分に出会うこともなかったと思いますので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
――totoを通じて末本さんやスポーツを応援してくれているファンのみなさんに、メッセージをお願いします。
いつもスポーツを応援していただき、ありがとうございます。私も、みなさんのスポーツを応援する気持ちに応えられるように、日々頑張っていきます。
(2014年9月、早稲田大学東伏見スポーツホール内射撃場にて)
- すえもと かな
1995年、福岡県生まれ。2009年、福岡県タレント発掘事業の選考会を通過。ライフル射撃への適性を認められると、太宰府高校へ進学し射撃部に入部。2013年、オーストラリアンユースオリンピックフェスティバル10mエアライフルで銅メダルを獲得し、自身初の国際大会入賞を果たす。現在は早稲田大学射撃部所属。
髙木浩信氏
――末本佳那選手の福岡県タレント発掘プログラムの受講について、特に印象に残っていることは何ですか。
物怖じしない子でした。知的能力開発・育成プログラムの一環として、子どもたちに「説得力のある話し方」を実演してもらったことがあります。彼女は小学6年生ながら、論理的な、なおかつまるで女優のように情熱的なプレゼンを披露しました。制限時間の30秒ぴったりで話し終えたのも、彼女ただ一人。時間の感覚も抜群に長けていましたね。
運動能力的には、体のバランスを安定させることに優れていました。でも、ほかのテスト、例えば反復横跳びなどのスコアは受講生の中でも低い方だったのです。彼女が中学に上がるタイミングで、事務局内に「末本は体力的には厳しいかもしれない」という意見が出されたことも事実です。
――その末本選手に、ライフル射撃の適性があることを見つけ、育て、活かしたということが、福岡県タレント発掘事業の真骨頂といえそうです。
まさしくその通りです。いわゆる速さ、強さは人並みだった末本選手が、「自分に合った競技種目を見つけることができれば、世界で活躍できる可能性がある」ということを、身をもって示してくれました。大好きなバスケットボールをやめることも、未知なるライフル射撃の道へと進むことも、勇気がいったことでしょう。そのようにして彼女が新しい世界の扉を叩いてくれたことは、次世代の子どもたちにも間違いなく勇気を与えています。
――育成の段階で種目を固定せず、受講生一人一人が様々なスポーツを体験しながら能力を開発していくというプロセスを採用した理由は何ですか。
福岡県の競技力は、昨年度の国民体育大会で男女総合8位に入賞したように、高いレベルにありますが、全国と同様、福岡県でも少子化傾向にあります。この結果、競技人口が減少していく中で、更に競技力を高めるためには、優秀な人材が自己の能力に応じた競技に出会う機会をつくることが有効であると考えました。
そこで導き出されたアイディアは、県体育協会、県立スポーツ科学情報センター、県教育委員会、各競技団体が一緒になって、「才能を見つけ、育て、適材適所の人材を各競技に活かす」ということでした。なお、このような『非種目特化型』の育成プロセスを採用したのは、私どもが世界で初めてです。このプロセスは現在、グローバル的には『JAPAN MODEL』と呼ばれていると聞いています。
――平成25年度(2013年度)の一次選考には、初年度の30倍以上となる47,505人もの応募者が集まりました。他の都道府県で実施されている同様な事業と比較しても、圧倒的です。受講者を募るために、どのような工夫をしているのですか。
一次選考に参加してくれたすべての子どもたちに、評価測定の結果を無料でお返ししています。また学校側から全校児童・生徒の評価希望があれば、事業の対象年齢を超えて、個別・学年別に評価したデータを無料でお渡ししています。このように県内の小・中学校に利用していただける仕組みを作ったことが、参加者を飛躍的に増やす大きな要因となりました。
――受講生たちに自分の進む種目を選んでもらう際に、気をつけていることは何ですか。
当事業の育成プログラムは、小学5年生から中学3年生までを対象としております。最長5年間のプログラムを受講する間に、本人の「やりたい種目」と、診断された「向いている種目」が一致しないというケースは、当然出てきます。私どもにできることは、選手としての適性に関する情報と、どこに行けばその競技を続けられるかという環境に関する情報をお渡しすることに限られます。したがって私どもは、選考会を通過した子どもおよび保護者に向けて、「最終的な種目の選択は、保護者とご本人に行っていただくものです」と、最初の段階で強くご説明させていただいております。
――事業の今後の発展に向けて、課題はありますか。
福岡県タレント発掘事業は、小学5年生から中学3年生まで5年間の能力開発・育成プログラムを経て、育成された自己の能力に応じた競技を選択し、中学卒業後は、個人の努力により世界を目指すこととしています。しかしながら、競技の環境が充実していないことや、周囲の仲間との意識の差からモチベーションが維持できない等の課題が見えてきました。このことから、本事業修了後、世界を目指す上でのサポート態勢の充実が必要であり、現在、検討しているところです。
――福岡県タレント発掘事業において、totoの助成が果たしている役割について教えてください。
役割という言葉では表現しきれません。今や、totoの助成がなければ成り立たないほど、事業の規模が大きくなったのですから。この事業は当初、県のスポーツ振興基金で細々とやっていましたが、totoの助成をいただけるようになったことで、プログラムの幅を大きく広げることができました。
――totoが福岡県タレント発掘事業だけでなく、様々なスポーツを支援していることついての印象や考えをお聞かせください。
子どもたちの育成プログラムに対する支援、総合型地域スポーツクラブなどに対する支援、スポーツ施設の拡充に対する支援。これらは、地方の予算ではなかなかカバーしきれません。totoの助成は、地域のスポーツを多面的に支えようとしてくれているのだということを、本当に実感しています。
――最後に、totoを通じてスポーツを応援してくれているファンのみなさんに、メッセージをお願いします。
ずっと未来までスポーツへの支援を継続していただくために、私たちはtotoの助成の趣旨をよく理解し、いかに有効に、いかに公正にその助成金を使うかということを考え続けなければならないと思っております。
(2014年9月、電話取材にて)